【東京美容師物語】シャンプーと夜のタイプは同じよ
東京は表参道。
「日本一の美容師」を目指すアシスタントのかずやは、今日もチョコチップスティックパンで空腹をしのいでいた。
この物語は、かずやのまわりで巻き起こる笑いと涙の『美容師物語』である。
- かずや
- 美容師アシスタント3年目。日本一の美容師を目指し福岡から上京するも、持ち前の不器用さでシャンプー合格まで半年を費やす。ラーメンは細麺派。長男。
PM10:30。
カットモデルを見送りフロアへ戻ると、トップスタイリストの尾形と1年目アシスタントの姿があった。
- 尾形聡子
- 売上300万を誇る人気女性TOPスタイリスト。ビールをこよなく愛する独身アラサー。好きな男性のタイプは孫悟空。
セット椅子に座り濡れた髪をとかしながら話す尾形と、その横でひざまずきメモをとるアシスタント。
どうやらシャンプー練習をしていたようだ。
「あ…はぃ、います」
「えと、、夜のほう…ですか?」
かずやは自分が入社したての頃を思い出していた。
まさかシャンプーの練習中に、年上女性に夜の営みを指摘されるとは思ってもみなかった。
そしてそれが見事に的を得ていたことも、驚きを増長させた。
その日からかずやのシャンプーは劇的に変わった。優しさ、焦らし、緩急、そしてときに…激しく。
「なにかあった?」
ある夜、彼女の加奈にそう言われたのもその頃だ。
そんなことを思い出しながらふと1年目アシスタントの顔を見ると、あの頃の自分と同じなんとも言えぬ複雑な表情をしていた。
こんなことを恥ずかしげもなく堂々と言えるのが、尾形の魅力だ。
2人はサロンの裏手にある焼き鳥屋へ入った。
尾形のドリンクは確認するまでもない。もっぱらビールをグラスで流し込む。
いい加減な返事をしつつも、尾形の指摘はいつも的確なだけに少し胸がザワついた。
尾形は不思議な女性だ。
サロンで唯一の女性トップスタイリストとして毎月300万を売り上げる一方で、ビールをこよなく愛し毎晩のように飲み歩いている。
かと思えば、料理教室へ通うといった家庭的な面も持ち合わせている。
そんな尾形だが、かずやが入社して以来一度も浮いた話を聞いたことがない。少なくとも2年は恋人がいないようだ。いやもしかしするとそれ以上かもしれない。
問いかけてすぐ、失礼なことを聞いてしまったと後悔した。
意外な答えに思わず前のめりになる。
いつもとは違う少し淋しげな表情だった。
恋人や結婚はまだいいけど、子供は今すぐにでも欲しいなって。矛盾してるよね笑」
体力の衰えを感じたり顔のシワが気になったり、世間からの対応が変わることを実感したり」
いつの間にか尾形のグラスは空になっていた。
そういうと尾形はハイボールの濃いめをオーダーした。
食べるだけでなく呑むのもスピーディーだ。
カッコいい美容師であり、普通のアラサー女子でもあり、酒好きのおじさんのようでもある。
そんな彼女が好きな男性の前ではどんな表情を見せるのか、少しだけ興味が湧いた。
尾形がこの日最初の顧客のカウンセリングを終え、シャンプーマンを紹介する。
自らの顧客に丁寧に説明をし、1年目アシスタントにシャンプーを任せる尾形。
先日、夜の営みを指摘されていたアシスタントだ。
いつか尾形のシャンプーを受けて見たいと思う、かずやであった。
ー つづく ー